MOTTAINAI倶楽部

特別プロジェクト

芋井の郷
甘茶プロジェクト

長野市芋井地区

長野市の北西に位置する「芋井の郷」は、
仏教信仰の原点ともいわれる土地。
この地で善光寺ゆかりの「甘茶」文化を
開花させ、地域貢献しようとする人たちの
活動をご紹介します。

title:仏教信仰の原点、
芋井の郷に紡ぐ
甘茶文化とその祈り

「芋井の郷」は、古くから自然と信仰が共にある地として知られます。およそ1400年前、この地に日本最古の仏像が流れ着き、それが後に善光寺の始まりとなったと伝えられています。この出来事は仏教が日本に根づくきっかけのひとつとされ、人々の暮らしに精神的な礎をもたらしました。今なお、芋井の郷にはその精神性や文化が息づいています。
そして現在、私たちはこの地でお釈迦さまの誕生日を祝う「花まつり」に用いられる「甘茶」の栽培に取り組んでいます。
信仰と自然が共存する芋井の郷で、仏教ゆかりの甘茶を育てることに、私たちは、大きな意義と誇りを感じています。
仏都・長野市から、薬効豊かな甘茶の文化を広め、地域の新たな魅力として発信し、活性化につなげていけるプロジェクトを紹介していきます。

歴史

日本仏教の原点—
善光寺と芋井の郷

かつて日本は八百万の神々を信仰する「神の国」でした。
そこへ6世紀中頃、百済から仏教が伝えられます。552年(諸説あります)、仏像とともに仏教が倭国へもたらされ、これが現在、善光寺に祀られている日本最古の仏像とされています。
仏教の受け入れをめぐっては、崇仏派の蘇我氏と、伝統的な神々を尊ぶ物部氏の間で激しい対立が起き、仏像は物部氏によって淀川に捨てられてしまいます。
その後、600年頃に信濃出身の本田善光がこの仏像を発見し、朝廷の許可を得て信濃に持ち帰ります。そして「芋井の郷」に御堂を建立し、仏像を安置しました。これが善光寺のはじまりとされています。
仏教をめぐる論争はやがて政治闘争へと発展し、蘇我氏が物部氏を滅ぼすことで決着を見ます。604年には聖徳太子によって仏教が正式に国の思想として位置付けられ、日本各地へ広まるきっかけとなりました。
善光寺の起源は、まさに日本の仏教の歴史そのものであり、信仰と祈りの精神は今もなお、芋井の郷に息づいています。